小部大歳神社は神戸市民の森に指定されるほど自然が豊かな場所にある

神社

鈴蘭台から北の方に向かった住宅街の一角にそこそこ大きな神社があります。小部大歳神社というところです。

この辺りは今まで歩いたことがなく、閑静な住宅街の中にこんな大きな神社があることに驚きました。今は住宅街になっていますが、昔のこの辺りは何かあったのではないかと思います。

長年の歴史があるのか、神社の周りはなかなか見かけない大木が何本かありました。100年以上の立ち続けているのではないかと思うほど、幹が太かったです。

大歳神社の様子

鈴蘭台側から見える大歳神社の入り口は下の写真のようになっています。他の神社と比べてあまり寂れていない感じから期待感が持てます。

小部大歳神社

市民の森という看板がありますが、その名に恥じないほど、自然が豊かです。周りが住宅街だということを忘れてしまうほど。

ただ、この周辺に住んでいる人はスギの花粉が大変だろうな・・・と変な心配をしてしまいます^^;

大歳大歳神社のにある木について

入り口付近の鳥居の下には花が咲いています。なんかカワイイですね。

大歳神社の鳥居

花を間近で見るとこんな感じ。

鳥居の下に花が咲いている

中へ進んでみると、広場がありました。その奥にお参りできる本殿があります。正月の時期に訪れたので、門松がありました。かなり立派です。

大歳神社の様子

門松を近くで見ると、より立派さが伝わります。門松の下には小さな花が植えられています。

小部大歳神社にある立派な門松

それなりに年季の入った本殿。賽銭箱という文字は手書きでした。元旦ならそれなりに人がいたのかもしれませんが、この日は散歩する人がちらほらいた程度でした。

正月の時期以外はほとんど人がいないんだろうな・・・。

小部大歳神社の本殿

小部大歳神社の建物 

後ろを振り返ってみると、なにやら舞台のようなものがありました。もしかして昔は農村舞台として使っていたのかな?

神戸市北区でもほとんど農村舞台が残っていないと聞いたことがあるので、もし農村舞台ならかなり貴重です。

小部大歳神社にある農村舞台?

近くで見るとこんな感じ。壁には落書きがたくさんあり、残念でした。こんなところに落書きするなよ・・・。

小部大歳神社の農村舞台と思われる舞台 

小部大歳神社の歴史が知れる掲示がありました。こういうの助かります。

小部大歳神社についての歴史

♪村の鎮守の神様は♪小部鈴蘭台地域の氏神(愛称・大歳さん)として何百年の間地域の人々の安全と健康を見守り続けています。

祭神:大歳御祖神(須佐之男の命の子供)で五穀豊穣の神 応神天皇(仲哀天皇と神功皇后の皇子)

建立:平安時代中期(九三一年〜一〇六八年)

神仏混合:中世の時代は神社とお寺が一緒に管理・運営されていた。その名残は、当神社の二月二十一日の引目祭では神主と住職が場を同じくして行事を行います。

祭礼:

  • 一月一日 初詣
  • 二月二十一日 引目祭(お的)
  • 七月二十七日 夏祭
  • 十月十五日 例祭
  • 十二月十六日 新嘗祭

 

もう1つ「小上神社」というのもあるようです。どれが小上神社にあたるのか分かりませんでしたが・・。

小上神社についての案内

平安時代  京・都の右大臣 将軍 橘遠保が天皇の命を受け瀬戸内海で朝廷に反逆して乱をおこした武将、藤原純友を鎮圧し、京都に凱旋の途中にこの小部の地で没したとされている。

祭神:右大臣  橘遠保 橘氏の祖に当る 敏達天皇

建立:貞永年間(一二三二年)

【小部の里】
当時は身分の高い人が都外で没した場合、百日の供養が終わるまでその地を動くことができなかった。この為、一族の一部の人がこの小部の地に住みついたと思われ、橘氏家臣の子孫の系図が多くみられる。この為、小部村は朝廷直轄の天領・荘園となり小部の里がうまれたとされている。(小部史参考)

当神社の怪
左側に立つ太神宮の石灯籠の石組み裏面に「義経」の名が刻まれている。震災時に見つかる。

当小上神社と石灯籠は建立されていた小部宮ノ前より昭和四十年代、団地開発によりこの地に移設され、平成十八年修理・修復されています。

神社にはどんなに小さくても歴史があるんですよね。いろいろあって今の形になっているんだということを改めて思い知らされました。

神社情報

参考ブログ:(北区、山田町)小部大歳神社(おおぶおおとしじんじゃ)のご紹介です。 – 自然と文化のお話し

おまけ:近くの神社やお寺

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